Yes, we can be forever young
東京寒ぃ。あの日に帰りたい。
旅に出る前に書こうと思ってたテーマが「面倒くさい」です。
かつて、わたくしは、mixiの日記に、「面倒くさい」は死に至る病である、などと格好つけて書いてました。キルケゴールの「死に至る病は絶望である」というアフォリズム、って言うとバカリズムの相方みたいですが、格言、からもじったもんです。
面倒くさい、というのは、やる気が出ない、という状態なので、それは確かに死にそうな感じなんですけど、やる気が出ない理由というのは、大概、絶望、すなわち、未来に期待が持てないという状況にあるので、結局、同じことであります。
180度、転換しまして、今日の「面倒くさい」は、付加価値向上の重要な契機として、ポジティブな気づきとして捉えます。
関西では、「面倒くさい」のことを「邪魔くさい」、英語では、「What a bother !」と言うそうです。障害である、退屈や、ゆうことですね。
なんでか。
ある目的に対して、無意味なプロセスが挟まっている時に、人は、what a botherと思ほゆ。
経済活動というものは、収益向上=付加価値向上、ということに目的が集約されますので、制約条件なしでの最適解というのが、「面倒くささ」の一切ない、ピュアなプロセス及び結果ということになりますけれども、現実には、法や慣習、人間関係や前後関係、調整しなければいけない条件は、鬼のように存在します。
これら制約条件が「めんどくせ」の源泉であり、ここをクリアしていく、ルールというものに中指を立てて行くことが、パンクであり、かつ付加価値に直結する、人の役に立つということです。IT化が典型ですね。ノートに書いて、電卓叩いてた面倒くささが、エクセルに入力すれば、いっぺんにできる的な。ITは基本パンクです。
というわけで、結局、「めんどくせ」と、もっと思った方がいい、というか、めんどくせ、と思った気づきを大切にするべきであり、かつまた、めんどくせ、と思ったことは、なるべくやらずに済ます方法を考えた方がいいのであります。
技術革新とは、人間が楽をするために起きてきた。
楽は、楽しい。空いた時間で作詞したり作曲したりできます。
しかしながら、それだけでは不十分であります。
例えば、オンラインゲームに夢中になる人は、トイレに行くのがめんどくさい、すなわち、オンラインゲームでもっと強くなるという目的にとって邪魔くさいので、ペットボトルにおしっこしちゃったりするやに聞きます。
なんで、こんなことが起こるのか。紹介した例は、ある目的にとっては合理的な行動であると評価できますが、じゃ、なんでオンラインゲームで強くなりたいの、って話です。
これは経済活動についても同様で、じゃ、なんで収益向上させたいのよ、っていうその先の目的がなければ、手段を合理的に選ぶことができませんのです。蓋し、ビジョンと呼ばれるものです。時間軸の違いと言ってもいいでしょう。インテリゲンツィアが子供がビデオゲームをすることを嫌うのは、ゲームに強くても生涯年収向上には効果が小さいと信じているためです。
じゃ、ビジョンってどうやって決めたらいいの?やりたいことなんてないよ、という人・会社さんもあるかもしれません。そこでヒントになるのが、お前は誰なの?っていうアイデンティティです。
我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか
しつこいですがゴーギャン。
お前は誰なのか、を知るためのヒントになるのが、あなたがどこから来たのか、という問いについて考えてみることです。ヒストリーですね。前も似たようなこと書いたかな。。。ま、いいやw
歴史は一つです。解釈はバラバラでも。しかし、未来の捉え方には2つあります。一つは内発的な未来。すなわち、やりたいこと。意志を持って実現する未来。もう一つが外部環境の変化に対応しようとする、せざるを得ない未来。すなわち、やるべきこと。これが、よく経営の本に大事なこととして書いてある、ビジョンとミッションの違いであります。
ゴーギャンで言うと、「我々はどこへ行きたいのか、どこへ行くべきなのか」と2つに分けて考えるということですね。
「やりたいこと」というのは、論理的には決まらないので、純粋に論理的な人は、意思決定できません。逆にやるべきこと、というのは、とりま、死なないこと/生き残ること、と設定できるので、簡単です。
じゃーじゃーじゃー、ビジョンはエモく決めればいいのか、というとそうは問屋が卸しません。エモーションというのは、得てして短期的な時間軸に支配されているからです。腹減った、眠い、やりたい。egoですね。wrapしないと。仙人と赤ん坊の違いはここにある。ま、刹那と不可思議ゆうのは、思いが及ばないという意味では同じことかもわかりませんがw
努力を惜しまないヒトのことをストイックと称する風潮がありますが、それは、「欲求」の捉え方の時間軸が違うだけ、と説明が可能です。
現代のビジョナリーカンパニーというのは、私の知る限りでは、世界に4つあります。4つありました。Apple, Amazon, Google, Teslaです。過去形なのは、Appleが脱落しかけているように見えるから。
世界を変えようとしている会社、ゆうことですね。i Phone使って、googleで調べて、amazonで買い物して、teslaで発電して出かける。human to network to material to moveという、存在と現象/運動/時間、Lifeのプロセスに関わる部分を全部やってくれるので、我々はクリエイティブに専念できるのだ!存在し、意思するだけで良くなってきているということですね。
過去を省み、未来を夢想、それを形にし、飲み、喰らい、眠り、子を残す。
技術革新がもたらすもの、つまり、めんどくさいを解消して行くと、極めて原始的な人間の営みがかえって浮き彫りになるのであります。
存在のcontextをよく理解して、持ち場を守っていればいい、ってことですかね。
毎度同じ結論ですけど。こここ。
今日のキーワード
・効率化
・egoの時間軸/中長期の欲求
・change
・yes, we can
僕は、学生の時分に、日本の大学生である私がこれから幸せに生きるためにはどうすればいいのか、ということをずっと考え、行動し続けて今に至ります。
幸せ、というのは、今日より明日、ちょびっとだけ欲求の充足度が上がる状況のことで、不幸はその逆です。その方が生存に有利。
だから、宗教というものは、欲求のコントロールにその全エネルギーを割くわけであり、経済政策は成長に苦心し、自分たちだけでも/自分たちだって、と考え、嫉妬したり、不満に思って、ケンカしたり戦争をするのあります。
死ぬまで成長し続ける、成長が止まったら、それは死ぬとき、death。