秋刀魚の内臓
おはようございます。先週は、あのうだる暑さの中、週に3回も10キロサイクリングを敢行したせいか、昨日は1日寝てました。
涼しい部屋でゴロゴロしながらあっためていたネタが「大人」です。この言葉ぐらい都合よく使われるものもなかなかないような気が。曲者です。
東京事変2ndアルバム「大人」、オザケン「大人になれば」、先日ご紹介したゲスの「オトナチック」などなど歌われていたり、
黒ラベルの大人エレベーターシリーズ。星野源の「蜃気楼」説は残りました。
そんな星野源が所属しているのは松尾スズキの劇団「大人計画」。
僕が敬愛する芸人、松本さんの名前は、人を志す。
「大人」とは。
10歳ちょいぐらいで来るとかいう第二次性徴、身体的な変化が内面にも変化を及ぼす思春期、つまり、世代交代、生殖できるようになるのが、一つの「大人」、動物的な、猿の子孫としての大人ですね。
各地のイニシエーション/通過儀礼、日本の武家でいう元服がこの時期なのは、プリミティブな、身体的な大人であることをコミュニティとして承認、認証するとともに、大人としての自覚を与える、ということではないかと推察します。この時期で区切られている法律は少年法ですね。14歳から刑事責任。動物社会的な大人。
これとはまたちょっと違うのが、人間社会的な「大人」です。
私の考える「大人」ですが、単純です。なんでも自分一人でできる人。永遠に完成することはなく、大人度は、程度の違いとして測られます。大人エレベーターシリーズでも、そんなようなこと、源ちゃんのんが典型ですが、いつまでも辿り着けないもの、みたいなタイプの答えが多いようです。
暗に含まれているロック魂。
人間社会的には、「大人」と言ったとき、既成の秩序に順応している人、その秩序をよく理解し、ているかどうかはともかく、「大人しく」従っている人、のことを指すケースが多いように思います。空気読む人、と言ってもよいでしょう。「大人しくしやがれ!」の意味は「俺の言うことを聞け!」です。
周りの大人が子供を叱れなくなっている、などと言われることがしばしばありますが、都市においては、親以外の大人は子供の面倒を見ていない、子供は親以外の大人に依存していないので、罰則とのバーターで言うことを聞かせる強制力がありません。都市において、「マナー」、単に昔からそう、というだけの慣習がワークしにくいのはそのためです。マナーではなく、ルールを作らねければいけない。面倒でも。
ちょっと話が逸れましたが、まとめますと、人間社会的には、「大人」という言葉は、ムラ側かどうか、既成の秩序側かどうか、既得権益側かどうか、という区別に使われている、ということですね。
黒ラベルの「大人」たちが、幾つになっても自分は大人ではない、と云うのはそういう意味やと思います。皆、各界のトップランナーで、トップランナーは、ゴールを壊し続けることで、先頭をキープしているから。ま、キープしているつもりはないんでしょうけど。
最後に、文化的な「大人」で、仕舞いにしましょう。
「秋刀魚の内臓食える人」
ロックだわw あからさまな。