いつだっておかしいほど誰もが誰か合わせ、合わせられて生きるのか?
今日は直行で余裕があり、洗濯物をたたみながら考えていたことを書いときます。
私は、人に合わせるのが苦手というか無理です。納得したことでないとできません。腹落ちしてないとできない。
しかし、みんな、そうだと思うんですね。
それでも、孤立する人と、集団を維持する人とに分かれるのは、人に合わせてもらうことへの許容度の違いなんちゃうかな、と思ったもんで。
合わせるのんと同じぐらい、合わせてもらうのもイヤ。ゆうことですな。
ただ、自分が「合わせてる」という意識のある人は、他人にも「合わせて欲しい」という欲求を持つかもわからないですねぇ。負の連鎖。無理すんなよ。
限界マックスまでお互い自由にやりたい。
もちろん、自由と自由がぶつかった場合、マナー/慣習法、ロジック/外交/成文法、パワー/軍事力、などで正々堂々解決すればよろしい。
パッとせん国、企業、組織、ゆうのは、裏でコソコソ権力を行使し合うから、グズグズなるんですよねぇ。家父長制。あ、ま、これは愚痴ではないです。ただの洞察。