Masquerade

2週連続の雨の週末で、暇すぎるので、書いて見ます。いや、書かせてくださいw

 

違和感。

 

一度、感じた違和感をずっと引きずります。で、なんで引きずってんだろう。なんで、違和感あんだろう。って、暇な時に考えます。

 

オザケンがSONGSに出てたんですよ。マイケルジャクソンチルドレンの一人として、僕はオザケンの音楽が好きです。

 

2つのことを言ってました。一つは、日本の自動販売機、お金もドリンクも盗まれないのはすごい。もう一つは、高学歴な日本人ほど英語ができない、ということです。

 

オザケンは99年ぐらいに音楽活動を休止して、旅に出て、NYに住んで、イギリス人と結婚して、最近、日本に帰ってきたらしいんですけど。

 

まず、着眼点が古い、という違和感。自販機の話も、日本の英語教育の弱点も、少なくとも20年、もしかしたら、もっと前から指摘されてることで、何を今更という違和感。

 

もう一つは、高学歴の日本人が英語が使えない理由を、日本の教育が減点法だからだ、間違えるのが怖いからだ、という仮説を展開し、間違えながら学ぶのが外国語だ、という主張をしていた、そこに違和感。

 

僕も英語を話すのは嫌いなんですが、それは、英語を話していると阿呆の子みたいになるというか、自分の洞察や知見の半分の半分の半分ぐらいしか相手に伝わらないからです。と、同時に、それほど伝えたいとも思わない。伝える必要もない環境に身を置いているから。

 

もちろん、小沢さんの指摘するようなこともあるとは思います。けど、だからなんやねん、とw

 

日本の教育が減点法なのは、進むべき方向が決まっていた、すなわち、欧米のケツを追いかける、ということが明確な中で、高い執行能力を備えた人材を養成することが急務だったからです。官僚と工場労働者。

 

でも、思いの外、あっさり、冷戦とかいろんな事情で、経済的には、欧米に比肩してしまって、今度はどこに向かうかを考える人が必要なんだけど、養成できてない、っつー、そうした外部環境の変化への対応が遅れている、その点は僕もそう思もいます。

 

だけど、それだけの話です。

 

日本が独特の文化を維持しているっつー指摘には同意します。それを可能にしているのが、高い社会保障レベル、小さい経済的格差、低い失業率が可能にしている治安のよさ、アメリカの軍事支配圏にいることによる、対外的に安定したステータス、言語帝国主義からの保護、などがあると思います。

なので、簡単に言うと、自販機いっぱい、英語できない、ですw

 

なんかまぁ、こんなとこでオザケンさんに文句言ってもしょーがないので、やめますww オザケンさんの上から目線は、今に始まったことじゃないですしねwww

 

昨日、見たナイツの漫才が死ぬほどおもろかったんで、今日はそれでお別れです。

 

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オメガはガンマ

舌の根も乾かぬうちに書きます。

 

昨日、書いている時から、社会学って、真面目にやってないんだよなぁ、と思ってましたが、明日、とあるアパレルメーカーを取材するにあたり、考えていたことをまとめたい。

 

被服とは。

 

一つ、身体機能を拡張・補完する最も原始的な装備

一つ、記号

 

自身の触覚、他者の視覚によって感知されると言い換えても良いでしょう。

 

従いまして、服を分類しようとすると、縦軸に機能性、横軸に記号性、その2つのパラメーターでマッピングができそうです。

 

機能というものは、目的が明らかでなければ評価できません。

防弾が目的なら軽さと厚さのトレードオフ

防寒が目的なら軽さと厚さのトレードオフ。一緒w

防暑が目的である場合、着るというより脱ぐことになるので、無視して良いでしょう。

また、防弾についても、平時を前提とし、無視します。

結果、機能を重視した場合、全世界の人々がウルトラライトダウンを着るはずですが、そのようにはなっていない。

 

なぜか。

 

記号の問題ですね。

 

記号というものは、一定のルールに従い、あるサークル内でのみ流通するものでありますので、初めに、どのサークルなのかが特定され、続いて、Aなのか、A'なのか、Bなのか、というメッセージが伝わるでしょう。

まず、コミュニティの特定(民族衣装)、続いて、制服(みんなと同じ服)か私服(人とは違う服)か、の違い、というわけですね。

 

つまり、自分は、

・社会に対して従属的な人間であるのか、反抗的な人間であるのか

と言うと過激なようでしたら、

・社会と同質性の高い人間なのか、異質な人間なのか

というメッセージが表現されます。

 

これで、被服というものを、

 

1:高機能で同質:ファストファッション/ユニク◯

2:高機能で異質:アウトドアの服

3:低機能で同質:スーツ/洋服の◯山

4:低機能で異質:パリコレ

 

このように、同質、には、廉価、という要素も入ってくることがわかります。

 

また、現代社会というのは、以前、述べたように、イノベーションがエラくて、昨日と同じ明日はエラくないという価値観が根本にあるので、異質の方がなんかバリューありそう、と思われがちです。

 

同時に、ピーコがオシャレは我慢と喝破している通り、現代社会では、機能よりも記号が重視されます。

 

従いまして、まず、3は問題外として、2か4がエラくて、1はその次、という評価の順番になりそうです。

 

しかし、諸賢においては既にお気付きの通り、「異質」もカテゴライズされてしまえば、同質である、というジレンマが存在します。オシャレにサイクル/トレンドが存在する所以でありますね。ここにこそ、アパレルビジネスの勝機があり、リスクがある、という至極、真っ当かつ面白みのない結論に到達しました。ワラ。

 

さらには、本当に異質な人間というのは、20年前の服を平気で着ていたり、服を自分で作ってしまったりするので、市場がない、若しくは小さい藁

 

そんなこんなで、機能性という付加価値が、基本的に素材に依存する(縫製とかもあるようですけど)ため、成長を続けるには、クロスボーダーも含めて販売チャネルを拡大する以外になさそうです。

 

ノースフェイスはVF Corpの、グレゴリーはサムソナイトの傘下、パタゴニアは非上場、他はちょっとよくわかりませんけど、まぁそうなるわな。

 

ふむ。大体、考えが整理できた!

 

タイトルは、オサレはガマンにしようかなぁ、なんかパッとしねぇなぁ、と思ってて思いついた意味のない言葉でつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が旅に出る理由

歴史は、46億年前だとか、アウストラロピテクスだとかから始めるのではなくして、今、なぜ、このような状況になっているのか、というところからミステリー形式で遡った方が面白い。

 

にも拘らず、歴史の授業がそうはならないのは、現代社会が抱える諸問題というのは、ステークホルダーが大概、ご存命で、ああだこうだとすぐ喧嘩になるためと思われる。

 

しかしながら、私の歴史ぐらいであれば、そのように遡っていっても大して差し支えることもあるまいと思うので、ちょっとやってみる。アイデンティティを探る旅ですな。

 

今、私は、日本株ファンドマネージャーをしています。なぜか。

 

外部環境の変化:前任が転職したから

内部環境/適性:相場に自信があるから

経緯/戦略:元々、アナリストになった時から FMになるつもりだったから

 

ここにさらに、上司が私を選んだから、とか、チームメンバーがNoと言わなかったから、とか、他に希望者/適任がいなかったから、とか、もしかしたら、今年が酉年だから、とか、一つの現象を説明するbecauseだけでも、これだけたくさんの種類があり、また、このそれぞれについて、なんで?と問うことが可能。

 

このように、現実社会を必死になって生きておりますと、因果の樹形図を解くのに忙しく、フィクションのミステリーだのゲームだのというものに脳内エネルギーを割いている余裕などほとんどないということが容易に感得できるのであります。

 

従いまして、歴史というものには、お話の軸、幹、ゆうものが必要となって参ります。

 

教科書では、通常、権力がフォーカスされます。誰が、支配していたのか、という軸です。どのように、ということに風呂敷を広げた瞬間に、図書館1棟では足りなくなるんちゃうかぐらいに、飛躍的に情報量が増大するであろうことは、上述の例からも想像可能です。

 

私の歴史は、どんなポジションにいたか、という軸で振り返ります。

 

ということで、なんでアナリストか、っついますと、その前に企画の仕事をしていて、しがらみを打ち砕くのに必要なエネルギーの総量が途方もないということをしばしば実感していたので、他の会社さんは、どんな塩梅で対応してらっはるのか、ということに関心が湧いたためです。(ちなみに、結論は、機が熟さなければ実はならないし、落ちない、ゆうものです)

 

一方で、アナリストが所属するチームというのは、当社の場合、比較的、短期的なパフォーマンスを追求するチームだったので、忙しい割にリターンが小さいというか、まーぶっちゃけ、そういう相場のアヤで金儲けをするというのはくだらないと思っていたので、中長期の時間軸で投資が可能なチームのFMになりたい、アナリストはそのための踏み台、企業リサーチの練習、ぐらいに考えていました。

 

身勝手な!と思われる向きもあるかもわかりませんが、周りに遠慮なんぞしていたら、やりたいことなんてできませんでしょう?意志を貫き、自由を保持するには、嫌われる覚悟・勇気、そして強さが必要なのであります。

 

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読まなくていいと思います。僕も読んでないw

表紙見れば、何書いてあるかわかる。

本は薦めないけど、実践はいろんな人に勧めています。

 

じゃ、なんで企画の仕事をしていたかと言いますと、それまでやっていたアセットアロケーションという仕事を極めてしまった上、このままやってても世界一にはなれないっつーか、世界一ではあるものの、そのためには英語に堪能でなければいけないが、英語などという単なる意志伝達ツールの学習に30代という脂ののった私がやる気が出ない、と思って、あれも嫌、これも嫌、とかやってたら飛ばされました。ははは。

 

しかし、これは後から振り返れば、とても良かった。

 

私の自意識はストラテジスト/戦略家です。

 

Playerでも、彼らを導くDirectorでもなく、人繰りを考えるProducerでももちろんありません。

 

建築士に近いのかなー。戦略構築士。

 

一応、金融の世界では、そういう職業もありますが、他人の褌で相撲を取るような感じで、ツマラナイ仕事です。自分の腹でリスクを取らなければ面白くない。気合も入らない。

 

つまり、ストラテジストが格好いいから、とかではなくて、ぶち当たった問題を解決するために、まず、ゴリゴリ作戦を練るタイプ、って言った方がいいかもですね。とりま、動くとか、とりま、人に聞くとか、そうではなくて、まず自分で考え倒す。そして、その思考の射程が、平均よりも深く広いと思います。

 

最初はアフリカ政治のゼミに入ったとこぐらいまで遡ろうかと思ってましたが、結局、これから何をしたいか、何をするべきか、で落とすのが今日の主旨だったので、結論に飛ぶ(笑。

 

まず、私の一つの旅は、東日本大震災後に、宇宙の真理にたどり着いたことで終わりましたw。mixiの日記を書いていた頃です。ArtmanとBrahman、人文科学と自然科学の探求です。Artに触れる、すなわち、映画を見たり、クラシックを聴いたり、絵画を見たりする一方で、理論物理学の本(入門書w)を読んでいた。ことを辞めた。不要になった。

 

続いて、もう一つの旅が、アナリスト・FMとして、経営の勉強を一通りしたことで終わりました。大学以来続いてきた社会科学、すなわち、政治、法律、経済、金融、経営の勉強が終わりました。この世の仕組み、なんで、こんなまーまーアホみたいで、まーまーいい感じの世の中になっているのか、について理解しました。

 

終わったというのは、骨格について腹落ちした、ということでして、この宇宙と人間社会のアーキテクチャーが頭に入ったゆうことであります。

 

これにより、あるボタンを押した時に、何が起きるか、その因果律が、「おおよそ」見えるようになりました。

 

はてなブログを始めた頃でもあります。自分の新たな悟りを形にしておきたい、という衝動があったんでしょうな。それも、お陰様であらかた書くことができました。

 

そして今。本格的にやることがないw

 

子供が欲しいと思った。パートナーも欲しいと思った。アナリストになった2年前から行ってなかった、行く気にならなかった旅行にも行きたくなった。

 

走ってる時は、走るのに夢中で、なんで走ってんのか、とか、説明できない。

けど、ゴールした今ならわかる。

 

僕が旅に出る理由は、それまでの旅が終わったから

 

だね。

 

 

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そんなこんなで、次の旅路では、先送りし続けてきたツールの訓練、英語とプログラミングと作曲をマスターしたいと思っています。多いなw

またソロキャンプにも行こうかなー。

ブログの更新頻度も落とします。もう落ちてたけどw

 

 

 

 

 

 

 

〜たびのうた〜

ただいま帰りましたagain。

 

今度はお伊勢参り3days。ついに行ったったわ。総本山。

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なんかねー。

いけすかねぇw

 

門前払い、ってやつです。

これより先は罷りならん。

写真は撮るなと怒られる。

謎のジジイに絡まれるw

 

森はよかった。

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門前町もシックでええ感じ。赤福、めちゃうま。

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マイナスイオン吸入して、あんころもちを腹に入れれば満足なんですが。

 

技能伝承の観点はわかるけれども、社殿も新しくて、遺産・観光地というより、宗教法人の本社、って感じやったなぁ。

 

ほやから、なんかこう、closedなんやよねー。遠い。

物理的にも近づけないんですけどw

秘密結社感。

と同時に、生きている、とも言える。のかもしれない。ある意味ね。組織として。

 

エラそうってわけじゃないんだけど、お高く止まってるっつーのかなぁ。同じかw

神聖さを演出しとるっつーのかなぁ。

 

権力の匂いを感じて気に食わん。

祭り事と政(まつりごと)がイコールだった時代のきな臭さゆうんですかね。 

俗。

 

エラスムスは言った。

 

求められる前に忠告するな

Don't give your advice, before you are called upon.

 

なぜか。

 

そんなものどうせ届かないからね。

 

 

想いというものは、教えられるものではなく、内から湧き上がるものなのだ。

 

 

道端で大切にされてるお地蔵さんの方が好きだ。

オフィスビルの狭間でちょこんと守られてる社が好きだ。

粗末でもそこにあるものを大切にしよう、という民の心の有り様を愛する。

 

 

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行きしなに聴いてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yes, we can be forever young

東京寒ぃ。あの日に帰りたい。

 

 

旅に出る前に書こうと思ってたテーマが「面倒くさい」です。

 

かつて、わたくしは、mixiの日記に、「面倒くさい」は死に至る病である、などと格好つけて書いてました。キルケゴールの「死に至る病は絶望である」というアフォリズム、って言うとバカリズムの相方みたいですが、格言、からもじったもんです。

 

面倒くさい、というのは、やる気が出ない、という状態なので、それは確かに死にそうな感じなんですけど、やる気が出ない理由というのは、大概、絶望、すなわち、未来に期待が持てないという状況にあるので、結局、同じことであります。

 

180度、転換しまして、今日の「面倒くさい」は、付加価値向上の重要な契機として、ポジティブな気づきとして捉えます。

 

関西では、「面倒くさい」のことを「邪魔くさい」、英語では、「What a bother !」と言うそうです。障害である、退屈や、ゆうことですね。

 

なんでか。

 

ある目的に対して、無意味なプロセスが挟まっている時に、人は、what a botherと思ほゆ。

 

経済活動というものは、収益向上=付加価値向上、ということに目的が集約されますので、制約条件なしでの最適解というのが、「面倒くささ」の一切ない、ピュアなプロセス及び結果ということになりますけれども、現実には、法や慣習、人間関係や前後関係、調整しなければいけない条件は、鬼のように存在します。

 

これら制約条件が「めんどくせ」の源泉であり、ここをクリアしていく、ルールというものに中指を立てて行くことが、パンクであり、かつ付加価値に直結する、人の役に立つということです。IT化が典型ですね。ノートに書いて、電卓叩いてた面倒くささが、エクセルに入力すれば、いっぺんにできる的な。ITは基本パンクです。

 

というわけで、結局、「めんどくせ」と、もっと思った方がいい、というか、めんどくせ、と思った気づきを大切にするべきであり、かつまた、めんどくせ、と思ったことは、なるべくやらずに済ます方法を考えた方がいいのであります。

 

技術革新とは、人間が楽をするために起きてきた。

 

楽は、楽しい。空いた時間で作詞したり作曲したりできます。

 

しかしながら、それだけでは不十分であります。

 

例えば、オンラインゲームに夢中になる人は、トイレに行くのがめんどくさい、すなわち、オンラインゲームでもっと強くなるという目的にとって邪魔くさいので、ペットボトルにおしっこしちゃったりするやに聞きます。

 

なんで、こんなことが起こるのか。紹介した例は、ある目的にとっては合理的な行動であると評価できますが、じゃ、なんでオンラインゲームで強くなりたいの、って話です。

 

これは経済活動についても同様で、じゃ、なんで収益向上させたいのよ、っていうその先の目的がなければ、手段を合理的に選ぶことができませんのです。蓋し、ビジョンと呼ばれるものです。時間軸の違いと言ってもいいでしょう。インテリゲンツィアが子供がビデオゲームをすることを嫌うのは、ゲームに強くても生涯年収向上には効果が小さいと信じているためです。

 

じゃ、ビジョンってどうやって決めたらいいの?やりたいことなんてないよ、という人・会社さんもあるかもしれません。そこでヒントになるのが、お前は誰なの?っていうアイデンティティです。

 

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我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか

 

しつこいですがゴーギャン

 

お前は誰なのか、を知るためのヒントになるのが、あなたがどこから来たのか、という問いについて考えてみることです。ヒストリーですね。前も似たようなこと書いたかな。。。ま、いいやw

 

歴史は一つです。解釈はバラバラでも。しかし、未来の捉え方には2つあります。一つは内発的な未来。すなわち、やりたいこと。意志を持って実現する未来。もう一つが外部環境の変化に対応しようとする、せざるを得ない未来。すなわち、やるべきこと。これが、よく経営の本に大事なこととして書いてある、ビジョンとミッションの違いであります。

 

ゴーギャンで言うと、「我々はどこへ行きたいのか、どこへ行くべきなのか」と2つに分けて考えるということですね。

 

「やりたいこと」というのは、論理的には決まらないので、純粋に論理的な人は、意思決定できません。逆にやるべきこと、というのは、とりま、死なないこと/生き残ること、と設定できるので、簡単です。

 

じゃーじゃーじゃー、ビジョンはエモく決めればいいのか、というとそうは問屋が卸しません。エモーションというのは、得てして短期的な時間軸に支配されているからです。腹減った、眠い、やりたい。egoですね。wrapしないと。仙人と赤ん坊の違いはここにある。ま、刹那と不可思議ゆうのは、思いが及ばないという意味では同じことかもわかりませんがw

 

努力を惜しまないヒトのことをストイックと称する風潮がありますが、それは、「欲求」の捉え方の時間軸が違うだけ、と説明が可能です。

 

現代のビジョナリーカンパニーというのは、私の知る限りでは、世界に4つあります。4つありました。Apple, Amazon, Google, Teslaです。過去形なのは、Appleが脱落しかけているように見えるから。

 

世界を変えようとしている会社、ゆうことですね。i Phone使って、googleで調べて、amazonで買い物して、teslaで発電して出かける。human to network to material to moveという、存在と現象/運動/時間、Lifeのプロセスに関わる部分を全部やってくれるので、我々はクリエイティブに専念できるのだ!存在し、意思するだけで良くなってきているということですね。

 

過去を省み、未来を夢想、それを形にし、飲み、喰らい、眠り、子を残す。

 

技術革新がもたらすもの、つまり、めんどくさいを解消して行くと、極めて原始的な人間の営みがかえって浮き彫りになるのであります。

 

存在のcontextをよく理解して、持ち場を守っていればいい、ってことですかね。

 

毎度同じ結論ですけど。こここ。

 

今日のキーワード

・効率化

・egoの時間軸/中長期の欲求

・change

・yes, we can

 

僕は、学生の時分に、日本の大学生である私がこれから幸せに生きるためにはどうすればいいのか、ということをずっと考え、行動し続けて今に至ります。

幸せ、というのは、今日より明日、ちょびっとだけ欲求の充足度が上がる状況のことで、不幸はその逆です。その方が生存に有利。

だから、宗教というものは、欲求のコントロールにその全エネルギーを割くわけであり、経済政策は成長に苦心し、自分たちだけでも/自分たちだって、と考え、嫉妬したり、不満に思って、ケンカしたり戦争をするのあります。

 

死ぬまで成長し続ける、成長が止まったら、それは死ぬとき、death。

 

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でんでん、でんぐり返って、バイバイバイ

ただいま帰りました。

 

旅に出てました。久しぶり過ぎて何年振りか不明。

出張ついでに岡山行ったりとかはしてたけんじょ。

車も借りたりして。

 

石垣どぅす!

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太平洋。

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日本海

 

石垣級ですと、日本海か太平洋かなんてまーどうでもいい。

 

ふつーに海パンに水中メガネで、お魚さんたちと一緒に泳ぐことができまして。人魚になったような心持ちで。ちょいちょい食い物と間違われてパクつかれて嬉しい、みたいな。

 

熱帯魚、10種類以上いてましたねー。巨大でキショいヒトデ(アオヒトデというらしい)とか、イシダイぐらいでかいサカナとか。

 

ニモことクマノミにも幸運にも巡り合えまして。親子連れやったんですけど、めっちゃ威嚇してきて可愛かったです。3分ぐらい「やんのか、こら!いてまうぞ、ぼけ!」みたいな感じで僕にガンを垂れまくりながら、体をクネらせてたんですけど、僕がニコニコ見てるだけなので、「なんや、やらへんのかいな。ぼけ」みたいな感じで巣に帰って寝てました。かわいかったなー。

 

そんなこんなで3時間ぐらい遊んでたら、背中が紅芋みたいに焼けてしまってエライことになってます。いや、でもよかったですわ。メンドくさがりなわたしのような人にはピッタリの海でした。

 

車移動だったし、市街地から離れたとこに宿を取ってしまったので、泡盛が飲めなかったのだけが心残りですけれども、2泊3日、48時間、夏を取り戻せたのでよかったYo。

 

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多原御嶽(ターパルオン)。全っ然、人が来なくて、カラスに監視されつつ、紅芋となった背中は痛いわ、足は蚊に刺されるわで、なんかビビりました。神社すね。沖縄本島では「うたき」と読むのを石垣では「おん」って読むらしく。他の言葉も全然違ってておもろい。

 

星空も見るかー、なんつって夜、一人で海に出た時も、人っこ一人いなくて、まじ人恋しい、人間大好き、と思えただけでも、いい旅でしたねw

 

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なんかへんちくりんな動画ですがやむを得まい。

 

 

 

 

 

 

 

 

Fix you

なんか書こうと思ってたけど忘れた。

 

大事なことなら忘れないだろう、忘れてしまうぐらいなら大事なことではないのだろう、と、メモするのが面倒な言い訳にしてますが、大事なことでも忘れてまう。

 

魔法少女まどか☆マギカというアニメがあります。最近、本格的なスマホアプリゲームになったのでやってみてるんですが、相変わらず暗い。魔法少女たちにどんな残酷な運命が待っているのだろうか、とシナリオが気になってしまい、続けています。アニメ見てないと、ネタバレになるので、よう言いませんが、アニメも暗いです。

 

魔法少女といえば、我々の世代は、ミンキーモモですが、虚淵玄さんは、魔法少女というドリーミーなアイコン、無邪気な願い、(見通しの)甘い理想を題材に、厳しい現実、宇宙の真理/エネルギー保存則とエントロピーを対峙させて、非常に不気味な世界観、見るものへの裏切り、無限ループを男らしく表現し、その強烈なギャップで、毎週、悪酔いしたような、暗い気持ちになる脚本を送り続けてくれましたw

 

エントロピーってなによ。って話ですよ。エネルギー保存までは勘弁できますが。

 

ググらない方がいいですよ。「乱雑さを表す指標」とかいう謎の解説にぶち当たるので。

 

私は、週末に向けて部屋が散らかって来ると、ああ、エントロピー増えてるわ、などとわかったようなことを思ったりするんですが、「乱雑さ」って、物理指標のくせに、ちょー主観的だと思いませんか?だって散らかった部屋が乱雑かどうか、誰が判断すんのよ、っつー話でして。

 

人間にとっては、乱雑に見える状態が、宇宙にとっては均衡・自然な状態、すなわち、エントロピーが増大するというのは、宇宙的な均衡に向かっている、ということやと私は解釈しています。

 

ほったらかしの畑は、人間にとっては、あらあらあら、ですが、動植物にとっては自然な状態に回帰している、と考えればわかり良いかと。

 

真面目に勉強したわけじゃないので、勝手解釈ですけど、私の宇宙観は、生成と消滅を螺旋状に繰り返す、というものなので、そう解釈した方がしっくり来ます。違う、とか言われても、面倒なので、僕はこれでいいですw

 

虚淵さんは、他に、Fate/ZeroPSYCHO-PASSといった、すげー面白いアニメの脚本も書いてます。見てw

 

日本のアニメがなぜゆえに、これほどまでの隆盛を誇っているのか。それは、極端なデフォルメにあると思われます。手間のかかる絵は何枚も書けない。最近の背景のクオリティとかはちょやばですけど、人物は相変わらず単純で、それはいっぱい絵を描いて、動かさなあかんからやと思います。

 

欧米の絵画が、まずは、どんどんリアリティを追求するベクトルに向かったのに対して、東洋の絵は、細かくはなったけど、デフォルメは残った。リアリティを追求していけば、写真と同じになって、一周回って個性が衰える、ということに気づいてたんですかね。

 

西洋は、そこから、また逆に振れて、マックスがシュールレアリズム。さらに抽象画まで行って、また個性が薄れる、っつーw 弁証法/振り子カルチャー、徹底してますね。

 

弁証法とか変な訳がついてるから、なんか、大層、ありがたい、ご利益のありそうなことに聞こえるかもわかりませんが、dialecticというのは、要はdialogue、二項対立、極論同士を闘わせて、新しい均衡値に辿り着こう、っつー、ただそれだけの方法論です。「対話法」の方が、まだマシな訳で。

 

そこから見えて来るものもイーーッパイ、あるので、その反復横跳びギザギザ前進エネルギーも尊敬に値するんですけど、古代から悟りきってたインド以東の一見、不動に見える座ったまま螺旋運動カルチャーもまたユニーク極まりない。地球は自転しながら公転しているので、黙って座ってたら勝手に螺旋運動するシステムです。

 

という感覚もまた、非常に西洋的なのですよね。各地の神話って、本質的には大体、同じで、アブノーマルなのはむしろユダヤ一神教

 

神は、寄る辺なきものの創りしもの

 

とは、アニメ・ハガレン、こと鋼の錬金術師に出て来る名言です。

 

一神教は不自然ですよ。発明。人類最大の。神に抗う。

 

ゼウスを見てください。いろんな女神やら人間とセックスしまくって、あっちゃこっちゃに子宝を授かり、自分が浮気されたら、ブチギレて、牛に変えたり、マジキ◯ガイw

 

しかし、これこそが「純粋」。「自由」。

ルネサンスが、中世キリスト教の呪縛にうんざりして憧れた世界。

 

昔、聖者の行進、という野島伸司が脚本を書いたテレビドラマがあって、いしだ壱成演じる知的障害者が、汚い世の中にピュアな花を咲かす、みたいなストーリーだったんですけど、僕の中学にいた知的障害を持ったお子さんというのは、他人への配慮や、自己の欲望の抑制という能力の著しく低い、全然、友達になりたくない奴(ら)だったので、僕は、野島伸司はウソツキや、と思ってました。

 

本当にピュアな人は、自己の欲望にのみ忠実な人です。我々は、大なり小なり、意識的にも無意識的にも「我慢」をして生きている。これが「無理」になると病気になりますが、「我慢」ぐらいはしないと、公共の福祉に反するわけですな。

 

もう今日は特に結論のない話を酔っ払いながらダラダラ書いて来てしまったので、苦し紛れに一曲流してお別れですw

 

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なんかこれが浮かんだ。

西洋のドキュメンタリーは涙腺崩壊する。