Fix you

なんか書こうと思ってたけど忘れた。

 

大事なことなら忘れないだろう、忘れてしまうぐらいなら大事なことではないのだろう、と、メモするのが面倒な言い訳にしてますが、大事なことでも忘れてまう。

 

魔法少女まどか☆マギカというアニメがあります。最近、本格的なスマホアプリゲームになったのでやってみてるんですが、相変わらず暗い。魔法少女たちにどんな残酷な運命が待っているのだろうか、とシナリオが気になってしまい、続けています。アニメ見てないと、ネタバレになるので、よう言いませんが、アニメも暗いです。

 

魔法少女といえば、我々の世代は、ミンキーモモですが、虚淵玄さんは、魔法少女というドリーミーなアイコン、無邪気な願い、(見通しの)甘い理想を題材に、厳しい現実、宇宙の真理/エネルギー保存則とエントロピーを対峙させて、非常に不気味な世界観、見るものへの裏切り、無限ループを男らしく表現し、その強烈なギャップで、毎週、悪酔いしたような、暗い気持ちになる脚本を送り続けてくれましたw

 

エントロピーってなによ。って話ですよ。エネルギー保存までは勘弁できますが。

 

ググらない方がいいですよ。「乱雑さを表す指標」とかいう謎の解説にぶち当たるので。

 

私は、週末に向けて部屋が散らかって来ると、ああ、エントロピー増えてるわ、などとわかったようなことを思ったりするんですが、「乱雑さ」って、物理指標のくせに、ちょー主観的だと思いませんか?だって散らかった部屋が乱雑かどうか、誰が判断すんのよ、っつー話でして。

 

人間にとっては、乱雑に見える状態が、宇宙にとっては均衡・自然な状態、すなわち、エントロピーが増大するというのは、宇宙的な均衡に向かっている、ということやと私は解釈しています。

 

ほったらかしの畑は、人間にとっては、あらあらあら、ですが、動植物にとっては自然な状態に回帰している、と考えればわかり良いかと。

 

真面目に勉強したわけじゃないので、勝手解釈ですけど、私の宇宙観は、生成と消滅を螺旋状に繰り返す、というものなので、そう解釈した方がしっくり来ます。違う、とか言われても、面倒なので、僕はこれでいいですw

 

虚淵さんは、他に、Fate/ZeroPSYCHO-PASSといった、すげー面白いアニメの脚本も書いてます。見てw

 

日本のアニメがなぜゆえに、これほどまでの隆盛を誇っているのか。それは、極端なデフォルメにあると思われます。手間のかかる絵は何枚も書けない。最近の背景のクオリティとかはちょやばですけど、人物は相変わらず単純で、それはいっぱい絵を描いて、動かさなあかんからやと思います。

 

欧米の絵画が、まずは、どんどんリアリティを追求するベクトルに向かったのに対して、東洋の絵は、細かくはなったけど、デフォルメは残った。リアリティを追求していけば、写真と同じになって、一周回って個性が衰える、ということに気づいてたんですかね。

 

西洋は、そこから、また逆に振れて、マックスがシュールレアリズム。さらに抽象画まで行って、また個性が薄れる、っつーw 弁証法/振り子カルチャー、徹底してますね。

 

弁証法とか変な訳がついてるから、なんか、大層、ありがたい、ご利益のありそうなことに聞こえるかもわかりませんが、dialecticというのは、要はdialogue、二項対立、極論同士を闘わせて、新しい均衡値に辿り着こう、っつー、ただそれだけの方法論です。「対話法」の方が、まだマシな訳で。

 

そこから見えて来るものもイーーッパイ、あるので、その反復横跳びギザギザ前進エネルギーも尊敬に値するんですけど、古代から悟りきってたインド以東の一見、不動に見える座ったまま螺旋運動カルチャーもまたユニーク極まりない。地球は自転しながら公転しているので、黙って座ってたら勝手に螺旋運動するシステムです。

 

という感覚もまた、非常に西洋的なのですよね。各地の神話って、本質的には大体、同じで、アブノーマルなのはむしろユダヤ一神教

 

神は、寄る辺なきものの創りしもの

 

とは、アニメ・ハガレン、こと鋼の錬金術師に出て来る名言です。

 

一神教は不自然ですよ。発明。人類最大の。神に抗う。

 

ゼウスを見てください。いろんな女神やら人間とセックスしまくって、あっちゃこっちゃに子宝を授かり、自分が浮気されたら、ブチギレて、牛に変えたり、マジキ◯ガイw

 

しかし、これこそが「純粋」。「自由」。

ルネサンスが、中世キリスト教の呪縛にうんざりして憧れた世界。

 

昔、聖者の行進、という野島伸司が脚本を書いたテレビドラマがあって、いしだ壱成演じる知的障害者が、汚い世の中にピュアな花を咲かす、みたいなストーリーだったんですけど、僕の中学にいた知的障害を持ったお子さんというのは、他人への配慮や、自己の欲望の抑制という能力の著しく低い、全然、友達になりたくない奴(ら)だったので、僕は、野島伸司はウソツキや、と思ってました。

 

本当にピュアな人は、自己の欲望にのみ忠実な人です。我々は、大なり小なり、意識的にも無意識的にも「我慢」をして生きている。これが「無理」になると病気になりますが、「我慢」ぐらいはしないと、公共の福祉に反するわけですな。

 

もう今日は特に結論のない話を酔っ払いながらダラダラ書いて来てしまったので、苦し紛れに一曲流してお別れですw

 

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なんかこれが浮かんだ。

西洋のドキュメンタリーは涙腺崩壊する。